Playback 2010 Review
2010/12/26(Sun)
みなさん、押し迫って参りましたが、年末はいかがお過ごしでしょうか。
私は飛び石の金曜を休みにし、4連休を自宅で過ごしております。

その年その年、「うわあと思った」曲を自薦してアルバム化し、数少ない
知り合いにCD-Rを押し付ける、このプレイバックシリーズも、
今年でめでたく5枚目となりました。

聴いて頂ける方は、コメントとかで連絡頂ければ、お送りします。

去年までで、何らかのコメントとか、頂いた方には、例年通り、
黙って送りつけようと思います。

例年、誰に送ったか、きっちり覚えていないため、もし聴いて頂ける方で
「届いてないやんけ」というかたはご一報を!第1便は29日(水)着予定です。


それでは簡単にレビューを!良い年末を!



1.RCサクセション「メッセージ」

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去年の清志郎の死で、今年の前半は正直、音楽がほとんど耳に入ってこなかった。
もう音楽聞くのを止めようかとすら思ったほど、個人的には重たいことだったのである。
でもそんな悲しい気持ちを吹っ飛ばすような曲に、夏以降、立て続けに出会い、なんとか
立ち直れました。音楽で受けたダメージは、いつも音楽で立ち直るのは不思議だ。

フォーク・トリオ時代のアルバム「ハード・フォーク・サクセション」から、この短いながらも
シニカルで純粋な1曲をオープニング・アクトで。今でも「一生懸命歌っている」
後輩たちの為に、今一度、キヨシローに歌ってもらおう。



2.フジファブリック「夜明けのBEAT」

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故人が遺した曲というのは、それだけで何だか重たくなるのだが、急逝した志村の
この疾走感は一体なんなんだ。。図らずも彼が参加した最後のアルバムと
なってしまった「MUSIC]から。超タイトなドラミング(東京事変の人らしい)もナイス。


3.斉藤和義「ずっと好きだった」

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私も厄年を前にして、我ながら「年取ったなあ」と思うことしばしばだが、
今年最も「年取ったなあ」と思ってしまった事は、この曲を聴いて「いいなあ」と
思ったことかもしれない。同窓会で久しぶりに会った美人のクラスメートにときめく
という、ロックでもフォークでもなんでもない、鼻の下伸ばしたおっさんが、風呂の
中でこいた屁のような歌詞に、あらぬ妄想を掻き立てられてしまう自分が情けなく
もあり、そういうユルい市場が確実に一定数存在する、この日本と言う国の
幼児化を憂いてみたり。マーケティングの上で書いた歌詞なら大した策士である。



4.少女時代「GENIE」
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この少女時代やKARAなどK-POPが席巻した本年。07年から活動してた
(らしい)少女時代が、満を持して日本攻略の第1弾でリリースしたのがこの曲。
世界規模の音楽マーケットで商いをするユニバーサルから出ているだけあって、
その作りこみのクオリティたるや、かつてコリアンポップと言えば、李博士の
ポンチャック・ディスコを思い浮かべる世代の私からすれば、隔世の感がある。
楽曲がなんとなくカイリー・ミノーグっぽくて、洋楽っぽくするぞ、ていう志が
垣間見えますなあ、と余裕をみせるのに、ちょっと頬が引きつる位のハイクオリ
ティで、正直、びびった。
ただ、ひとつだけ日本のマーケットを読み誤ってるなあ、と思ったのは、伝統的に
日本では、完璧な美人ってかえって逆に万人受けせず、どちらかというと、どこか
に欠点があって、それが「愛嬌」としてプラスに作用する顔の方が「受け」がいい、
という点である。このサイボーグ美人みたいな、南鮮の喜び組集団は、日本で一体
どこまで通用するのだろうか、といらん心配をしたりしながら、完璧なダンスの
太ももをyoutubeでじっとりと眺めるのが、斜陽国日本の、正しい40代男子の姿と
言えよう。



5.ゆらゆら帝国「アーモンドのチョコレート」

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もう、ひとむかしもふたむかしも前の話だが、ロックバンドをやっているヤカラ
といえばもう、なにを考えているのかわからない「あっちの世界」の人たちで、
親戚一同の鼻つまみ者、だけどその分いかがわしく歪んだ、一般人は出しえない、
抗しがたい魅力をもったキャラがうようよいたものだが、昨今ではやたらと
滅菌洗浄され、人畜無害で小ぎれいな「いい人」たちが多い。
だから僕も初めてゆらゆら帝国の写真を見たとき、
「ああ、この人たちが60年代の伝説のロックバンド、「外道」か・・・」
と勘違いした。それくらい、「今の人」らしからぬ異人っぷりを発散していたのだ。
ある意味、人間の動物的な衝動を素直な形でサウンドにしたサイケデリック・
ロックに僕は夢中になり、ある時期モスト・フェイバリット・ミュージシャンだった。

そんなゆらゆら帝国が今年、解散した。聞けば「ゆらゆら帝国でやれることは
全てやりきり、完成してしまった」からだそうだ。未完成な人間の、その
未完成っぷりが重要なエッセンスであるロックンロールバンドにとって、解散する理由に
正解があるとすれば、○をつけざるを得ない解散理由ではなかろうか。
ゆらゆら帝国。最後の最後まで、かっこ良すぎるロックバンドである。

この曲は’99年のセカンドアルバム、「ミーのカー」より。前衛的な曲が多いゆら帝の
レパートリーの中では、比較的聴きやすい曲。当時気に入ってよく聞いてました。
この曲を聴くと、ipodのトランスミッターで聞きながら営業車で走っていた、
愛知県刈谷・安城方面へ向かう国道23号線の、田んぼと工場しかない、愛知県独特の
単調な景色を思い出す。



6.The ting tings 「Great DJ」

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ロクに調べもせずに失礼千万だが、おそらくこの曲は、ものすごくいい加減な
歌詞なような気がする。演奏もかなり適当だ。しかしながらこの曲を何回も
リピートして聞いてしまうのは、その得体の知れないポップさ加減、というか、
日本人のような、割と情緒に縛られがちな人間性の国からは、まず生まれて
こないであろう、むき出しの「POP」そのものみたいなもんを感じてしまうから
である。理解できないけど不思議と魅かれてしまう。子供の頃、実家のタンス
の上にあったガラスケース入りのフランス人形のような。
しかしもう、数年前の曲である。このキャッチアップの遅さがすなわち40才
という年齢かと思うとげんなりするも、聞いたのが今年なので、2010年版に
収録するのをお許し頂きたいのであった。



7.JUJU 「Hello,Again~むかしからある場所」

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90年代のMy Little Loverのヒット曲を、ソニーのデジカメCM用に
JUJUがリテイク。ここんところ最もアブラが乗っているシンガーだけに、
料理のうまさはハンパない。

しかしながら、元来この曲の最も注目すべきところは、「ツーセンテンス以上、
歌詞の意味が続かない不気味さ」である。フレーズ単位、センテンス単位では
気を引くコトバがちりばめられているのだが、トータルで何を歌いたい曲なのか、
初めて聴いて以来15年以上たつが、未だに分らない。途中どこから聴いても
インスタントな「切なさ」に感動できる、究極の「コマーシャル(商業用)・ソング」
である。しかもその曲をリサイクル使用しなければヒットにつながらない、今日の音楽
シーンの末期症状ぶりを表す上でも、象徴的な1曲。



8.フラワーカンパニーズ「深夜高速(2009)」

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フラカンは昔から知ってはいたが正直嫌いだった。はっきり言ってダサいからだ。
この「深夜高速」を初めてラジオで聴いた時も、出だし、同じ感触だった。
40越えて何が「青春ごっこ今も続けながら旅の途中」だよ。四畳半フォークか。
そしてサビの「生きててよかった、生きててよかった」に辟易する。いい加減に
してくれ、なんだこの薄っぺらい人生賛歌は・・・しかし、歌詞の続きで凍り付く。

「そんな夜を探してる」

そう、彼らは40過ぎても「生きててよかった」と思える夜を探して走っている。
みんな、手前しか照らさないヘッドライトを頼りに、さえない自分の人生を
よたよたと走っているのだ。つまり、つまり、・・・自分と一緒じゃないか。
そう気付いて後、私は疲れきったサラリーマンで満員の、地下鉄の電車内で、滂沱の涙を
流してしまっていたのでした。
本ブログでも繰り返し書いているが、ロックに深みを与えるのは、通低奏音としての
「疲労感」、そして確かな現状認識に根ざした希望である。やみくもに元気なやつは
信用できない。

この曲は伊集院光が推薦して、自分のラジオ番組で紹介したことで有名になり、
「深夜高速-生きてて良かったの集い」という、複数のミュージシャンが
全て「深夜高速」をカバーするという、異色のコンピ盤まで発売された。
良いカバーも多いが、本人たちのリテイクがやはり唯一無二である。



9.秦基博「アイ」

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想像を超える純粋さや美しさに遭遇すると、図らずも涙が出てしまうものだが、
今年出会った曲では、この曲がそうだった。聴いているだけで部屋の中に暖かい
光が満ちていくような錯覚、神に召されるような至福感。
こんな歌声で、聖書の世界とかを教えられ、そのままその神だけを信じて
死んでいけたら、すごく幸せだろうなあと思ったりもする。
まあ、現代でそんなことは有り得ないのだが。
神が人間に与え給うた最高の楽器は「歌うこと」だと思うが、そういう意味で
秦基博は、最高の楽器を持っているミュージシャンである。



10.神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴り止まないっ」

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これだけ閉塞感に満ちたこの国で、どうして新しいロックンロールが生まれないのか
と思っていたら、それは取り越し苦労で、こんな形で最新型のロックが現れた。
ネットでは、かまってちゃんがロックなのか、そうでないかが議論されていたが
ロックじゃないという奴は、自分の中に、共鳴できるロックの初期衝動を
おそらくは持ち合わせていない、ビニール人形のような人間なのだろう。
かつて書いたことがあるが、ロックとは、ニキビのつぶれる瞬間を
音で表現したものだ。方法論は副次的なものであるはずだが、商業的な
尺度によるフィルタにより、結果的にその衝動性はスポイルされがちである。
そうやって大人たちにもてあそばれているうちに、ロックはロックですらなくなってしまった。

かまってちゃんは、今まで誰も試さなかったベクトルからロックンロールを放射してきた
新時代の、というか2010年型のニキビの破裂である。スタイルにこだわらず
グツグツしたものをネットから放射してきたかまってちゃんに、最大限のエールを
おくりつつ、2010年のシメとしたい。


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