スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
追悼 桂米朝師匠
2015/03/20(Fri)
思えば、いつも米朝師匠がスタンダードでした。

落研時代、大学の図書館の「米朝全集」はいつも何冊かが貸し出されており、周囲の埃をかぶって眠っている本たちとは違い、明らかに布張りの背表紙がすり減って光っており、「実用書」として我々落語大学の部員に愛用されていることを物語っていました。学生の時は買えませんでしたが、就職して大阪・茶屋町の古書街でまとめ買いした時は無性に嬉しかったものです。
その他「上方落語ノート」などの著作を読んでも、その膨大な勉強量、調査の広範さ、博覧強記ぶりはいち噺家の範疇をとうに超えており、その上であの普遍性が成り立っているんだなと思うと寒気がします。

CDの米朝全集、むさぼるように聴きました。私にとってはこの方が上方落語の座標軸の中心にあり、ほかのプロの落語家さんは「米朝師匠とどう違うか」みたいな見方をしていたように思います。

DVDの米朝全集、結婚した時に勢いで全巻買いました。15年以上経ってから、東京で社会人落語をするようになり、時々貸してあげたり自分で観たり。高い買い物でしたが良い買い物でした。

そして高座、幾度となく拝見しました。京都金毘羅神社の米朝一門勉強会、サンケイホールの米朝一門会・・・堺かどこかの市民会館で見た「替り目」は本当に凄かった。大ホールが滑稽風味の夫婦愛で満たされていました。

米朝師匠の落語の凄さは何なのか。私が前から思ってたのは「凄いと思わせない凄さ」ではないかと思います。ふわりと目の前に現れる落語の世界。現実世界との間にまったく敷居の無いストレスフリーさといいますか。作為がほとんど感じられない。常に目の前にいるようで居らず、見ていたのは喜六やら甚兵衛はんやら、天狗やら子供やら落語の中の人物であって。
逆に、素人が落語やってて、演技が勝ちすぎると「それじゃ落語じゃなくて演劇だよ」って言われて困ってる方おられますが、そういう人も米朝師匠をよく見ると良いように思います。落語の世界の演出が必ずしもどぎつい感情表現だけではない事に気づくでしょう。(もっとも、私自身は思いっきり感情入れてやっても「きょうはあっさりやってたね」と言われる位ですけどってやかましいわ!)。

そんなこんなで、戦後上方落語の最重要人物をリアルタイムに、晩年だけでもフォローする事ができたことは本当に幸せでした。本当に、ありがとうございました。安らかに、お眠り下さい。


今頃、あっちの寄席小屋では、師匠の名前の横の、「近日より」の札が外されているのかな。


myhome_R.jpg
この記事のURL | 落語 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
<<03/20のツイートまとめ | メイン | 03/19のツイートまとめ>>
コメント
-  -
久々の長文ブログに米朝師への熱い想いを感じます。筆を執らずにはいられなかった的な。豆さんの落語を聞いてて米朝師を思い出すことは皆無だったけど(失礼な!)、そんなに尊敬し、影響を受けていたんだねえ。。。

落語を聞くときに座標軸の中心をもつというのは、とても大事なことなんじゃないかなあと最近とくに思います。私にとっての中心はもちろん志ん朝なわけだけど、やはり生の高座に間に合わなかったという点が、心の中でトゲのように引っかかってます。でも、だからこそ聞けるときにはなるべく足を運んで生のものに触れようという、今の私の落語鑑賞スタイルができたともいえる。

豆さんが米朝師匠から学んだこと、もっといっぱいあるでしょう。こんど飲みながらゆっくり聞かせてね。
2015/03/20 12:34  | URL | さえ #-[ 編集]
- さえさん -
こめんとありがとう。レスが遅くなってすみません。

まあとにかくいち演者としてだけでなく、上方落語っていう文化そのものをかなりの割合で形作ってた方ですから、みな多かれ少なかれ、影響は受けてると思います。

まああまり芸風が影響を受けてないふうなのは、私の語り口調が端正過ぎるからかもしれません。(ぐんぐん伸びる鼻に洗濯物を干しながら)
2015/03/22 13:04  | URL | 豆蔵 #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://mamenov.blog64.fc2.com/tb.php/1765-a37fd682

| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。